November 16, 2008

やっぱり好き






(上)Fort PointよりGGBを眺める。
(中)Crissy Fieldのビーチ、本日は満員御礼。
(下)防波堤から眺める。

今日は朝ヨガった後、カウチでビデオでも観ながらだらだらしよ~と思っていたのだけど、あまりに天気がよかったので自転車で金門橋をわたってきました。
副要因しては、家にいるとどうしても仕事メールを見てしまう=モードの切り替えができないので「えぇい、外に出ちゃえ~!」みたいな勢い。

ちょっと今仕事でわらわらしてて。

週末ずっとボスの指示メールが届くのを首を長くして待っててもくたびれるし、まぁどーせ月曜会社にいったらわらわらしんどいのだから週末は気持ち切り替えてリフレッシュしようと思ったわけです。

で、家から坂を下りたところに観光客用のレンタル自転車屋とCity Car Share (=BayareaローカルのnonprofitなZip Car)があって、どちらも$7/hr。この天気、この青空、迷わず自転車を選択。そう、もう気分はツーリスト。
なるべく身軽に、というかほとんど手ぶらで外に出かけるのが大好きで、今日もカメラと少しのお金をポケットに入れて出発。何も考えずにひたすらペダルをこいで景色を眺めていたら、

「あぁなんか今、自分に余裕ないなぁ、何あせってんだろ。もっとリラックスリラックス」

とか思ってしまいました。
普段働いているときは突っ走っていることに全く気づかない(周りに「どぅどぅ」と言われて初めて気がつく)。
気持ちだけ先走りしてテンパって仕事進めても効率悪いから・・・それはもうイタイほど経験済み。

しばらく走ってようやく周りの景色が目に入るようになった頃、改めて町の魅力を再認識。日常の生活に忙殺されて忘れてたけど、この町は本当に素敵です。やっぱり大好き、惚れ直しました。

November 3, 2008

タイミング

夏の終わり頃から日本への転職先を本格的に探し始めていた。その矢先に金融ショックが起きた。
無理矢理続けようと思えば今でも不可能ではないだろうが、得策ではなさそうなのでしばらく静観することにした。今すぐ何がなんでも帰りたいというわけでもないから、というより次の行き先が日本である必要もないから。

でも何かこう、直感的に、まるで目に見えない抗えない力がはたらいて「動くな」と押しとどめられた気がした。いわば、川にかかる吊り橋を渡って向こう岸に行こうかどうしようかと逡巡している間に、いきなり鉄砲水がやってきて橋をまるごと流してしまった感じ。なんていいタイミングでくるかな、と思わず自嘲気味になってしまった。

こちらに移り住んで、丸3年。
時が過ぎるにつれ、ここが私のあるべき場所なのかと自問自答するようになった。
満ち足りないのだ。理由は分かってる。


誰かが喜んでくれる顔をみるのはとてもうれしい。
人の役にたっているような気がすると、すごく落ち着く。
不安が消えていく。
あなたがhappy、私もhappy。幸せにしてあげるなんておこがましいことは言わないけど、私があなたのhappyになれたらそれが私の最大の幸せ。


悲しいことに、ここでは未だ誰かにそばにいてほしいと言われたことがない。
次第に私を必要としてくれる人はもしかしたら別の場所にいるのではないか、と考えるようになった。3年という時間は一つの場所にとどまって見極めるのに十分な長さだったと思う。
まるで青い鳥を追いかけるような青臭いことを言っているが、でも、必ずどこかに私を必要としている人がいると信じてる。
もし私の存在が誰かの心の支えになっていると感じられたら、それだけで多分救われた気になるのだろう。そしてずっとそこに、そばにいたいと思うのだろう。

今はただ、期が満ちて次の場所に動くときがくるのを待つことにしよう。

November 2, 2008

言葉をひろう

毎日会社まで徒歩通勤している、その距離片道25分。
行きは寝ぼけた体を目覚めさせて、帰りは仕事ペースからクールダウンさせて、そして、何にも邪魔されることなく考えをまとめるための貴重な時間。

しかし、それでもどうしても考えがまとまらないときがある。
どうしても気持ちが不安定で落ち着かなくなるときもある。
そんなとき、いろんなところから言葉をひろってみる。
何からでもいい、何かちょっとでも心に反応するものがある言葉。
このところはそんな風に言葉を拾い続ける日々を過ごしている。


[拾ってきた言葉]


危険な状況や失敗することを恐れるあまり、無意識的にその場所から逃げていると孤独な状況にたどり着いてしまう。

愛することによって失うものは何もない。だが、愛することを怖がっていたら、何も得られない。

どんなに頭で考えても、行動が伴わなければ何も起こらない。

努力すればするほどラッキーになっていく。



「時を待つ心」

何事をなすにも時というものがある。
時ーそれは人間の力を超えた、目に見えない大自然の力である。
いかに望もうと、春が来なければ桜は咲かぬ。
いかにあせろうと、時期が来なければことは成就せぬ。
冬がこれば春はま近い。
桜は静かにその春を待つ。
それはまさに、大自然の恵みを心から信じきった姿といえよう。
わるい時がすぎれば、よいときは必ず来る。
おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。
あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。
時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。
だが何もせずに待つことは僥倖を待つに等しい。
静かに春を待つ桜は、一瞬の休みもなく力をたくわえている。
たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しないであろう。
時を得ぬ人は静かに待つがよい。
大自然の恵みを心から信じ、時の来るのを信じて、着々とわが力をたくわえるがよい。
着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る。
時期は必ず来る。
待てといわれればなおあせるのが人情である。
だが、自然の理はわがままな人情には流されない。
冷たいのではない。
静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。
おたがいに時を待つ心を養いたい。

(道をひらく(松下幸之助)より)